子どもがSOSを出せなくなる社会にしないために
ある報道を見て感じた違和感
プロ野球・巨人の阿部慎之助監督が、同居する10代の娘さんへの暴行容疑で現行犯逮捕され、その後、監督を辞任するという報道がありました。
報道によると、娘さんが児童相談所に相談し、そこから警察への通報につながったとされています。
その後の会見では、娘さんからの手紙も読み上げられました。
手紙には、ChatGPTに親とのけんかについて相談したところ、児童相談所への相談を案内され、そこから意図しない形で警察への通報や逮捕に発展してしまい、とても驚いたこと、父親とはすでに仲直りしていることなどが書かれていました。
巨人・阿部慎之助監督の暴行事件、児相・警察の迅速対応も「長女」に批判の声…児童虐待の専門家に聞く
もちろん、家庭の中で実際に何があったのかは、外から簡単に判断できることではありません。
児童相談所や警察の対応は適切だったのか。
子どもの意向はどこまで丁寧に聞かれていたのか。
そもそも、親子間のとてもセンシティブな出来事が、ここまで細かく報道されてよいのか。
考えるべき点はいくつもあります。
ただ、私が一番気になったのは、事件そのもの以上に、その後の社会の反応でした。
「相談した子が悪い」にしてはいけない
Xでこのニュースを見たとき、娘さんを責めるような投稿も目に入りました。
「大げさに言ったから悪い」
「家庭のことを外に出すべきではなかった」
「相談したせいで大ごとになった。父親の仕事を奪った。」
そういう声を見て、正直とてもショックを受けました。
ここで社会が「相談した子どもが悪い」という方向に流れてしまうのは、本当に危険です。
今この瞬間にも、家庭の中でつらい思いをしている子どもたちがいます。
暴力を受けている子。暴言を受けている子。
でも、子ども自身はそれをうまく説明できないことがあります。
「これは虐待なのかな」
「自分が悪い子だからなのかな」
「こんなことで相談していいのかな」
そう思いながら、ひとりで抱えている子どもたちがいます。
その子たちが今回のニュースやSNSの反応を見て、
「相談したら家族が壊れるかもしれない」
「親を困らせてしまうかもしれない」
「自分が悪者にされるかもしれない」
と思ってしまったら。
それは、子どもを守る社会として大きな後退だと思います。
子どものSOSは、きれいに整理されて届かない
家庭の中で起きていることを、子どもが最初から正確に言葉にできるとは限りません。
怖かった。
どうしたらいいかわからなかった。
誰かに聞いてほしかった。
でも、親のことを嫌いなわけではない。
大ごとにしたかったわけではない。
そういう気持ちは、同時に存在します。
「怖かったから助けてほしかった」
でも、
「親を傷つけたかったわけではない」
この二つは、矛盾しません。
もちろん、あとから気持ちが変わることもあります。
「あの時は怖くてすぐに親から離れたいと思ったけど、やっぱり親を守りたい」という気持ちが出てくることもありえます。
それでも、助けを求めたこと自体は否定されてはいけないと思います。
子どもには、助けを求める権利、家庭の外に相談する権利、安全を求める権利があります。
そして、相談したあとに大人や制度がどう動くかは、大人側の責任です。
もし対応に課題があったのなら、それは制度や大人が検証し、改善すべきことです。
子どもに「あなたのせいで大ごとになった」と背負わせてはいけないのです。
子どもを守ることと、子どもの声を聞くこと
一方で、子どもの声を大切にするというのは、子どもが話したことをそのまま受け止めて処理することではありません。
相談を受けた側には、安全を守る責任があります。
同時に、子どもが何を望んでいるのか、何を怖がっているのか、何に混乱しているのか、できる限り丁寧に聞く必要があります。
子どもの安全を守ること。
そして、本人の声を置き去りにしないこと。
この両方が大切です。
子どもが安心して相談できる仕組みをどうつくるか。
相談したあとに、子どもがさらに傷つかない対応をどう整えるか。
SNSや報道が、子どもを責める空気を広げないために何ができるか。
そこを考える機会になってほしいと思います。
「話していい」と思える場所をつくる
これは、日本の家庭の中だけの話ではありません。
PLASが活動しているアフリカの地域でも、子どもたちが困りごとをひとりで抱え込まずに話せることは、とても大切なテーマです。
PLASでは、家庭や学校で、子どもたちが安心してカウンセラーに相談できる機会をつくっています。
保護者から少し離れて、自分の気持ちを話せる時間。
学校の中で、困りごとを相談できる場。
子どもと家庭、学校、地域をつなぎながら、子どもを支える環境を育てる活動です。
子どもを守るというのは、大きな事件が起きたときだけの話ではありません。
日々の暮らしの中で、
「話していい」
「助けを求めていい」
「自分はひとりではない」
と思える関係や場所をつくっていくことなのだと思います。
そして、それは自然に生まれるものではありません。
大人が意識して、地域の中で少しずつ育てていく必要があります。アフリカでも、日本でも、です。
最後にひとつ宣伝!
PLASでは今、アフリカの子どもたちがひとりで困難を抱え込まないように、子どもと家庭、学校、地域をつなぐ活動を続けるため、クラウドファンディングに挑戦しています。
子どもが安心して「話していい」と思える環境を、地域の中につくっていく。
そんな取り組みを応援したいと思ってくださった方は、ぜひクラウドファンディングのページをご覧いただけたら嬉しいです。
子どもたちに夢を。支援の知見を分かち合う、20年目のPLASの挑戦
子どもの権利、NPOの現場、AI時代の社会の変化、そしてPLASでの実践について、これからも考えながら書いていきます。
こうしたテーマに関心のある方は、よかったらSubstackを購読していただけたら嬉しいです。
一緒に、子どもたちが安心して声を出せる社会について考えていけたらと思います。



私も一番引っかかったのが、娘さんが児童相談所に通報した後に、娘さんにどうしたいのかというヒアリングがなく、そのまま警察に通報されたところです。警察はそのまま『逮捕』しちゃうんだと思いました。暴れているなら仕方ないと思いますが、『逮捕』という言葉はあまりにショッキングでした。
おっしゃる通りです〜