門田瑠衣子|もんだるいこ
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女性経営者が見えないところで払っている「尊厳コスト」
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女性経営者が見えないところで払っている「尊厳コスト」

今日は、「女性経営者が見えないところで払っている尊厳コスト」について書いてみたいと思います。

先日、ある媒体の取材を受けました。

取材そのものは、本当にありがたいことでした。

私が取り組んでいるPLASの活動について、少しでも多くの人に知ってもらいたいと思っているので、媒体で取り上げてもらえること自体はとてもありがたいです。

ただ、その取材の中で、少し気になることがありました。

インタビューしてくださる方が、ところどころタメ口で話してきたのです。

「そうなんだ」

「すごいね」

「これはどうなの?」

「これも聞きたいんだよね」

そんな感じでした。

最初は敬語だったのですが、途中から少しずつタメ口になっていきました。

たぶん、悪気はなかったのだと思います。

私を傷つけたいとか、嫌な思いをさせたいという感じではありませんでした。

むしろ、私の話に共感しながら、「すごいですね」「いいですね」という雰囲気で聞いてくださっていたのだと思います。

だからこそ、逆に言いにくかったのです。

その場では、タメ口で話されていることを完全に流してしまいました。

でも、心の中ではずっと違和感がありました。

「なぜこの人は、私にタメ口なんだろう…」

そう思っていました。

もし私が男性経営者だったら、同じ話し方をされたのだろうか。

もし私がもっと年齢の高い男性だったら、相手は同じ距離感で話していただろうか。

そう考えたときに、たぶん答えは「違う」だと思いました。

もっと年上の男性経営者だったら、もう少し丁寧に話していたのではないかと思ったのです。

女性経営者が払っている、目に見えないコスト

こういう違和感には、これまで何度も出会ってきました。

一つひとつは、わざわざ目くじらを立てるほどのことではないように見えるかもしれません。

実際、私もその場で怒ったことは一度もありません。

でも、あとからいつもモヤモヤします。

そして、こうしたことが積み重なると、ずっと心の中に残っていきます。

少しずつ、心をすり減らしていくのです。

これは、尊厳を感じさせてもらえないことで払わされるコストなのだと思います。

だから私は、これを「尊厳コスト」と呼びます。

事業をやる。

起業する。

活動を続ける。

本来なら、そこで向き合うべきことは、事業の中身や社会に届けたい価値のはずです。

でも、女性経営者の場合、その前に「軽く扱われないようにする」という余計な負荷が発生することがあります。まじで、尊厳を守らせてくれ…!

実績を語る前に、まず対等な相手として見てもらわなければならない。

事業内容を説明する前に、まずなめられないようにしなければならない。

本題に入る前に、「この人は私を対等な仕事相手として見ているのだろうか」と確認しなければならない。

これは、本来なら払わなくていいコストです。

でも、女性経営者には、こうしたコストが発生しやすいのだと思います。

「もしかして私のせいなのかな」と思うこともあります。

でも、やはりこれは個人の問題ではなく、構造の問題だと思います。

普通に差別されているのだと思います。

しかも、このコストは外からは見えにくいのでやっかいなのです。

20代の頃は、もっと露骨だった

私は24歳くらいのときにPLASを立ち上げました。

今は44歳になり、年齢を重ねたことで、以前よりは少しマシになってきた感覚があります。

でも、20代の頃はもっと露骨でした。

ある程度話して仲良くなったあとに、「お嬢様なのかと思った」と言われたことがあります。

家がすごく裕福で、働かなくてもよくて、家事手伝いのような感じで、好きな慈善活動をしているのかと思った、という意味でした。

他にも、「男性から寄付をもらって活動しているのかと思った」と言われたことがあります。しかも何度も!

それは、寄付者の男女比や、支援者層の分析の話ではありません。

男性のほうが可処分所得が多いから寄付額が多い、というようなマーケティングの話でもありません。

要するに、バックに男性がいて、パトロンのような人からお金をもらって活動しているのではないか、というニュアンスでした。

しかも、それを少し楽しそうに言われるのです。

多分、言った側は冗談のつもりだったのだと思います。

「パトロンに支えられているのかと思ったけれど、実際は真剣に事業をやっているんだね」

そういう、ある種の褒め言葉のつもりだったのかもしれません。

でも、言われた側にはモヤモヤが残ります。

尊厳を削られる言葉として、ずっと残っていきます。

実際の私は、パトロンに支えられているわけではありません。

お嬢様でもありません。

自分でこの事業をやりたいと思い、責任を持ってリーダーをやり、事業を続けてきました。

それを、もう20年近くやっています。

それなのに、女性であるというだけで、「あなたは誰かに支えられている女」という物語に変換されてしまうことがあります。

特に、「男性に支えられている女」という物語にされてしまうことがあります。

男性には、あまりピンとこない話かもしれません。

でも、この話を聞いて「あるある」と思う女性は、かなり多いのではないかと思います。

「女の子要員」にされることもあった

中には、「女の子要員」のように扱われたこともありました。

支援してくださっている方や、支援してくださる法人の方から、突然飲み会に誘われることがありました。

今振り返ると、あれは飲み会要員だったのだと思います。

事業の話でも、活動の話でもありません。

ただ、その場を華やかにするために呼ばれていたのだと思います。

もちろん、行かないこともありました。

でも、あとから振り返って、「あのとき私は、団体の代表者として呼ばれていたのではなかったのだな」と思うことがあります。

若い女性として、場を盛り上げる存在として、消費されるために呼ばれていたのだと思います。

その場にいると、なんとなく居場所がない感じがします。

私は団体の代表者としてここにいるのか。

それとも、若い女性として消費されるためにいるのか。

そういうことを考えさせられます。

男性経営者だったら、男性起業家だったら、こういうことは起こったのだろうか。

家に帰ってから、「今日はなんだったんだ…」と悔しく思ったことも何度もありました。

結婚や出産で、事業の継続性を疑われる

もう一つ、女性経営者あるあるだと思うのが、結婚や出産についていろいろ言われることです。

「活動に打ち込んでいるから、一生結婚しないのかと思っていた」

「子どもは産まないのかと思っていた」

「結婚して子どもができたら、活動を辞めるのかと思っていた」

こういうことを、かなりストレートに言われてきました。

普通に失礼なことですが、本当にたくさん言われました。

でも、こういう言葉も、たぶん男性だったらあまり言われないのではないかと思います。

男性が事業に打ち込んでいても、「結婚したら辞めるのですか」とはあまり聞かれません。

子どもが生まれても、「それで経営は続けられるのですか」と疑われることは少ないはずです。

でも、女性の場合は、結婚や出産が、事業の継続性と勝手に結びつけられます。

もちろん、ライフイベントによって働き方が変わることはあります。

それは誰にでもあることです。

でも、女性だけが、結婚や出産を理由に「いずれ活動から降りる人」「経営を辞める人」「諦めてしまう人」のように見られるのは、やはり違うと思います。

スルーする力ばかりが伸びてしまった

こういう場面に出会うたびに、本当はその場で言えたらいいのだと思います。

「その言い方は少し違うと思います」

「それは失礼です」

「その前提は違います」

「取材なので、敬語でお願いします」

そう言えたらいいですよね。

でも、実際にはなかなか言えません。

仕事に影響が出るかもしれない、という不安もあります。

「面倒な人」と思われるかもしれない、と考えてしまうこともあります。

だから、笑って流してしまいます。

私は、そういうことがとても多いです。

その結果、スルーする力ばかりが伸びてしまいました。

でも、本当はそれだけではいけないのだと思います。

これは自分への戒めでもあります。

言える場面では、少しずつ言葉にしていきたいです。

今回の件で言うなら、「取材なので、敬語でお願いできますか」と言えればよかったなと、今は思っています。

その切り返しの言葉を、お守りのように自分の中に持っておくことは大切だと思います。

これは個人の愚痴ではなく、構造の問題です

ここまで読むと、ただの愚痴のように感じる人もいるかもしれません。

でも、私が書きたいのは、誰か一人を責めたいという話ではありません。

「あの人が失礼だったから許せない」と言いたいわけでもありません。

これは、構造の問題として捉えることが大切だと思っています。

女性経営者や女性起業家は、事業そのものを作っていく大変さに加えて、対等に扱ってもらうための余計なコストを払っています。

軽く見られないようにするコスト。

勝手な物語を作られて、「そうではありません」と説明しなければならないコスト。

性的に消費されるかもしれないと警戒するコスト。

結婚や出産によって、事業の継続性まで疑われるコスト。

これらは、無意識のうちに払わされているコストです。

そしてこれは、社会全体にとっても非常にもったいないことです。

私がこれまで払ってきたコスト。

私がそこで使ってきたエネルギー。

それは本来なら、もっと社会をよくするために使えたはずです。

PLASで言えば、子どもたちの未来を明るくするために、もっと注力できたはずのエネルギーだったはずなのです。

だから、この構造そのものを変えていくことは、女性のためだけではありません。

社会全体のためにも必要なことだと思います。

違和感をなかったことにしない

では、この構造を前にして、自分に、一人ひとりに何ができるのか。

まず大切なのは、違和感をなかったことにしないことだと思います。

私は今日、こうして言葉にしています。

もし同じように違和感を感じたり、苦しんだりしている人がいたら、まず伝えたいです。

それは、あなたのせいではありません。

あなたが「なめてもいい人」に見えるから、そう扱われているわけではありません。

これは、社会構造の問題です。

その違和感は、言葉にしていいものです。

もちろん、毎回戦う必要はありません。

戦うのが苦しいときもあります。

笑って流すしかないときもあると思います。

そのときに、笑って流してしまった自分を責める必要も、ありません。

そもそも、相手が軽く扱っていること自体がおかしいのです。

それを指摘できなかったことで、罪悪感を持つ必要はありません。

ただ、もし言える場面があるなら、少しずつ言ってみる。

「その前提は違います」

「その言い方はやめてください」

「その質問は、事業内容とどう関係していますか」

こういう言葉を、お守りのように持っておく。

それだけでも、少し違ってくるのではないかと思います。

自分もまた、誰かを対等に扱えているか

もう一つ大切なのは、自分自身が他人に対して同じようなジャッジをしていないかを考えることです。

相手を「若い女性」として見る。

「お母さん」として見る。

「女の子」として見る。

そうやって、相手を一つの属性だけで判断していないか。

偏見を持って接していないか。

これは誰にとっても大切な問いだと思います。

対等な相手として見るとは、どういうことなのか。

対等な相手として扱うとは、どういうことなのか。

そこを意識して人とコミュニケーションを取ることは、一人ひとりにできる小さな一歩だと思います。

尊厳コストを減らすことは、社会をよくすること

女性経営者が払っている見えないコスト。

尊厳を守るために払わされているコスト。

それは、表には出にくいけれど、確実に存在しています。

私はこれを「尊厳コスト」と呼びたいと思います。

この言葉が正しいかはわかりません。

でも、名前をつけることで、見えるようになるものがあります。

見えるようになると、共有できます。

共有できると、少しずつ変えていけます。

これは、ただの文句ではありません。

誰かを責めるためだけの話でもありません。

自分の違和感をなかったことにしないための言葉です。

私自身、まだその場で言える人間ではありません。

スルーしてしまうことも多いです。

あとから「あのとき言えばよかった」と思うことばかりです。

でも、こうして落ち着いた空間であれば、言葉にすることができます。

まずはここから始めたいです。

女性経営者が、余計なコストを払わずに、事業そのものに集中できる社会。

女性だから、若いから、母親だから、妻だから、という余計な物語を背負わされずに、一人の仕事相手として扱われる社会。

それをつくるために、私たちはまず、自分の違和感に気づくこと。

そして、誰かを対等に扱うこと。

この二つから始められるのだと思います。

もし同じような経験がある方がいたら、ぜひ教えてください。

「私もこういうことがあった」

「この言葉に救われた」

「こういうふうに切り返している」

そんな経験が集まることも、きっと次の誰かのお守りになると思います。

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